関西テレビ開局15周年を記念して企画・制作された連続ドラマ。反響の多さに、3年半181回連続という記録を打ち立てた日本史に残る花登筺の傑作。

戦後編 どてらい男 78回~103回(放映1975年4月6日-9月28日)

ドラマ 写真01

昭和20年8月15日、日本は敗戦し、終戦を迎えた。猛造たち生き残った日本兵たちはアメリカ軍の捕虜になった。捕虜収容所に収容される際、本名を名乗ることに抵抗を感じた猛造は、陸軍大将の塙団右衛門と名乗る。猛造の嘘を信じたアメリカ軍により、塙大将として日本人捕虜の最高責任者に任命された猛造は、復員する日を指折り数えながら、クリスマスパーティを開いて仲間を勇気づけたり、日本人捕虜の待遇改善に尽力したりと大活躍をする。しかし、捕虜収容所に猛造に敵意を持つ上官の坂田軍曹と前田商店の元番頭の竹田が入ってきて、猛造が二等兵だったことがばらされる。MPに逮捕され、階級詐称の罪で裁判を受ける猛造。大阪では店主のことを「大将」と呼ぶ慣習があると主張する猛造。猛造の有罪は確実と思われたが、裁判長は日本人将校の多くが敗戦後、責任逃れで階級を下に偽る中、敢えて大将を名乗った猛造の勇気を称え、無罪の判決を下す。

ドラマ 写真02

帰国の日を待つだけの捕虜収容所の日々も、無為に過ごさないのが猛造だった。敗戦国の日本の円の値打ちが下がり、アメリカのドルが強いことを知ると、商魂が再び頭をもたげ、アメリカ軍の倉庫から余ったパラシュートの生地を盗みだし、それをネッカチーフや風呂敷に加工して日本みやげとして米兵に売り付け、ドルを稼いだ。すべては日本に帰って商売を再び始めるためだった。

ドラマ 写真03

茂子と親友の尾坂は、猛造の無事を祈りながら捕虜名簿に猛造の名前を探すが、塙大将を名乗った猛造の名前は当然名簿には載っていなかった。不安にかられながらも、猛造は生きていると固く信じる茂子と尾坂だったが、2人以外の人間は、猛造は戦死したものと思い込む。茂子の実家の両親は、経営不振にあえぐ兵庫屋を再建するために元店員の楠義一と再婚させようとする。茂子は猛造が生きているからと再婚を断り続けるが、役場から猛造戦死の知らせを受け取った猛造の母・よねは茂子を思い切らせるために茂子の籍を抜く。尾坂は、猛造はきっと生きているからあきらめないで待つように茂子を励ますが、周囲の圧力に屈して、ついに茂子は再婚を承諾する。

沖縄の日本人捕虜の帰国が始まった。一刻も早く大阪に帰りたい猛造は、怪我人が優先されると聞いて、身体がしびれると嘘をつくが、その策略が裏目に出て、アメリカ陸軍病院に長い間留め置かれることになった。そんな猛造にもついに帰国命令が出た。捕虜収容所で稼いだ大枚のドル札を秘密裏に日本に持ち込むため、体に包帯を巻き、日系二世を装って最後の復員船に乗船する。

名古屋港を経て、福井へ戻った猛造は、焼け残った家屋の間をアメリカ兵のジープが走り回る、変わり果てた故郷の姿に暗澹たる思いにかられる。さらに、三方村に戻ると、茂子が再婚するというショッキングな知らせが待ち受けていた。翌日、義一の郷里の城崎で結婚式が行われると知った猛造は、茂子を取り戻しに城崎へ向かう。電車の便がなく、乗り換えたトラックも道路の崖崩れで先へ行けなくなったため、山道をひたすら歩いて城崎を目指し、挙式寸前に婚礼会場の旅館に辿り着き、花嫁衣裳姿の茂子と再会する。心ならずも猛造を裏切ったことに罪悪感を抱く茂子を大きく包み込む猛造。
「どこにも行かさんぞ。おまえはやっぱりわいの嫁や」「わたしは一生、あんさんの嫁です、あんさんの…」手に手を取り合う猛造と茂子だった。

株式会社 山善