花登筺

ドラマ どてらい男 花登筺

テレビ草創期に登場し多くの功績を残した、スター脚本家。
昭和30年代の上方喜劇ブームを牽引し、長きにわたり”根性ドラマ””根性物”など様々なジャンルの作品を執筆し続けた。

昭和3(1928)年3月12日、滋賀県大津市上北国町(長等1丁目)に生まれる。本名は善之助。大津市立長等小学校、滋賀県立大津商業学校を経て同志社大学商学部に進学。昭和22(1947)年、北国町青年団の一員として演劇活動を始める。昭和23(1948)年、大津で自立劇団人間座の結成に参加。その後、文芸座を設立し、地元の芝居小屋や大津市中央公民館などで文芸作品を上演する。昭和26(1951)年、同志社大学卒業後、大阪・船場の綿糸問屋「田附商店」に入社するが、肺湿潤を患って翌年退社。大喀血により死線をさまようが、九死に一生をとりとめる。

健康を回復後、作家を志し、ラジオドラマの台本を書いては放送局に持ち込む。ラジオの台本作家を経て、昭和33(1958)年『やりくりアパート』(大阪テレビ放送)の脚本・演出でテレビ脚本家としてデビュー。昭和34(1959)年には、出世作となるコメディドラマ『番頭はんと丁稚どん』の脚本を手がけ、喜劇作家として名声を確立する。昭和45(1970)年には、貧乏旅館に嫁いだ女性の奮闘ぶりを描いた『細うで繁盛記』(よみうりテレビ)の脚本を執筆し、大ヒットを記録する。続いて昭和48(1973)年に根性ドラマの傑作『どてらい男』(関西テレビ)を手がけ、同作品は連続ドラマとしては異例のロングランを記録する。

昭和58(1983)年9月、北海道で執筆中、体調を崩して帰京し、昭和大学病院に入院。同年10月3日午前2時50分、肺ガンのため死去する。享年56歳。

多作で、生涯に手がけたテレビ脚本は6000本、舞台脚本数は500本に及ぶ。速筆でも知られ、最盛期には大阪~東京間を移動する新幹線の車内で原稿用紙に向かい、1時間ドラマの台本を書き上げたことから"カミカゼ作家""新幹線作家"の異名を取った。

活動はテレビや舞台の脚本、小説の執筆にとどまらず、舞台の演出にも及んだ。昭和34(1959)年には喜劇集団「笑いの王国」を設立。メンバーには大村崑、芦屋雁之助、芦屋小雁など関西を代表する喜劇人が顔を揃えた。昭和47(1972)年には劇団「喜劇」を主宰し、舞台人の育成に尽くした。

主な作品

  • 『番頭はんと丁稚どん』(1959~61)

  • 『柚子家の法事』(1966)昭和41年芸術祭文部大臣特別奨励賞

  • 『船場』(1967~68)

  • 『飛騨古系』(1968)昭和43年明治百年記念芸術祭文部大臣賞、大阪賞

  • 『道頓堀』(1968~69)

  • 『細うで繁盛記』(1970~71)

  • 『ぼてじゃこ物語』(1971)

  • 『アパッチ野球軍』(1971~72)

  • 『どてらい男』(1973~75)

  • 『あかんたれ』(1976)

  • 『鮎のうた』(1979~80)

  • 『ぬかるみの女』(1980~81)

  • 『女商一代 やらいでか!』(1981)

  • など多数執筆