山善ならではの出来事

モーレツ社員たちが大阪、日本、そして世界へとはばたいた、株式会社 山善。その山善に語り継がれる数々のユニークな出来事。
受け継がれる山善スピリット

山善には「切拓く」という不変のテーマがあります。いやテーマというより「切拓く=山善」と言った方がいい。
創業者 山本猛夫が昭和10年(1935年)、大阪の機械工具商で丁稚奉公、8年後、22歳で独立開業し、数々の試練を乗り越え、今の山善の礎を築いた。その商売人としての考えや行動、生き様を自ら「切拓く人生」として形容すると共に「切拓く山善」を人、モノ、組織に根付かせた。
モーやんから社員へ、先輩から後輩へ、特有の文化として今も脈々と受け継がれている山善のスピリットを、新入社員のモトヤマくんと一緒に振り返ってみませんか?! <再生時間約16分>

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1954

昭和29年

ラジオCM

「大阪毎日放送で山善機械器具㈱のCM」

1955

昭和30年

PR紙発行

業界初のPR紙「機械器具の新聞(タブロイド版)」を発行、機械工具商品や技術の積極PRを通じて得意先販売店の販促をバックアップした。新聞は昭和43年、新聞社を設立し大判の全国ユーザー紙として名前も「日本機械器具新聞」(現・ 日本物流新聞)と改め、再スタートを切った。

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1970

昭和45年

ラジオCM

沖縄琉球放送(ラジオ)の巨人戦ナイター中継でCM

呼び出し作戦

大阪万国博会場やプロ野球観戦の球場、新幹線車内などで呼び出す際、創業者山本猛夫は会社名を名乗ることを徹底、社名浸透を図った。

1971

昭和46年

「株式会社山善」に社名変更

生産財と消費財の専門商社へ事業拡大を目指し社名変更した。

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1973

昭和48年

ツートンカラーの営業車

ツートンカラーの営業車を昭和40年代初めに導入。当時、車は「動く広告塔」として重宝され、大手企業はこぞってコーポレートカラーの営業車を走らせた。山善も赤と緑のツートンカラーを採用。40年代後半、「どてらい男」の会社として企業イメージが高まったのを、営業車でも活用した。

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1974

昭和49年

小説「どてらい男」のTVドラマ化

「モーレツ会社のモーレツ社長」。高度経済成長の中、山善は急成長企業として世間から注目を浴びた。その創業者は時の人となり、根性モノ小説の第一人者 花登筐(こばこ)が山本猛夫をモデルに小説「どてらい男」を書き上げ、裸一貫から独特の商才と行動力で一代を極める筋書きが注目され、TVドラマ化され人気を呼んだ。

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ドラマ「どてらい男」詳しくはこちら

1975

昭和50年

「どてらい市」を全国展開

「どてらい市」は全国のユーザーに対する"出前展示商談会"である。毎日、多忙で現物を見たり比べたりする機会がないユーザーの現場へ出向き、見て、さわって、試して、商談、ユーザーは納得の上で購入、同時に人間交流も…これが人気を博し今も続けられている。

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1976

昭和51年

非常事態宣言

ドルショックに続くオイルショック。日本経済、というより日本全体が大混乱に陥った。山善もこの時期の不動産分野への過大投資が裏目に出て経営が悪化、かつての優良企業 山善に立て直すべく「非常事態宣言」を出し、社員一丸による新たな挑戦に乗り出した。

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1977

昭和52年

「山善30経営作戦」

昭和52年5月、山善は会社創立30周年を迎える。経営は非常事態宣言を出すほどの状況。「不動産、不良資産の一掃、本業である生産財と消費財へ一丸となっての取り組みで業績の回復をはかり、新たな飛躍の礎となる30周年にする」経営作戦を推進した。

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